関東地方環境事務所のアクティブ・レンジャーが、活動の様子をお伝えします。
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<いざ、大真名子山(おおまなごさん)へ>
10月27日(木)、登山道や自然環境などの現状把握を目的に表日光連山の中央に位置する標高2,375mの大真名子山に行きました。
戦場ヶ原から見る(右から)男体山、大真名子山、小真名子山<車両通行規制>
梵字飯場跡駐車場に駐車し、徒歩で裏男体林道~志津峠~大真名子山山頂に向かいました。以前は、志津峠までの裏男体林道は一般車両の通行も可能でしたが、現在では通行は禁止されていますのでご注意ください。
車両通行ゲート<舗装路が秋模様へ>
主観になりますが、奥日光全体としては、紅葉の見頃は終盤となりました。落葉樹は寒さの厳しい冬に備え、葉に蓄えられた栄養分を樹幹に移動させ、矢継ぎ早の様にヒラヒラ葉を落としています。生葉を失くした樹木や地面に積もった落葉を見るとなんだか心寂しさを感じます。一方で、今の季節ならではの気分が少し上がる発見をしました。
裏男体林道の本区間は普遍的で殺風景なアスファルト舗装路ですが、様々な樹種のカラフルに彩られた落葉が散りばめられたことで、秋を感じさせる模様になっていました。
オシャレな舗装路<雪山の住人>
しばらく歩いていると、小さい鳥が立木から立木へせわしく活発に動いていました。コガラです。ゴジュウカラとともに早春の山を代表するさえずりの主です。近縁のカラ類に比べ、季節移動をほとんどせず、雪山で春を待つ個体も珍しくないそうです。雪山に残れる秘訣は、植物の種子や実などの食料を貯蔵する習性です。かつて志賀高原で行われた調査によれば、10月に採った食物の9割近くは蓄え、冬の間の食料の7割が秋に蓄えてあったものということが分かったそうです。長い進化の歴史で会得した冬を生き抜く知恵ですね。
シジュウカラ科コガラ<信仰の歴史と行者の足跡>
1時間15分かけて志津峠までを登りきったところで休憩。ここまでは通過点に過ぎません。(そこそこ疲れますが)志津峠から山頂までの急坂な林内ルートが本番です。
ところで、大真名子山の信仰の歴史は古く、鎌倉中期には日光修験の秋の入峰修行コースに入っていました。行者たちは、今の二荒山神社から女峰山を経て、峰筋を駆け登り、この山頂から千鳥返し(日光三険の一つ、鎖場)を駆け下って男体山へと修行しました。この峰修行は明治初年途絶えましたが、山伏の足跡は現在の登山道として生きています。志津峠から大真名子山を望む
<登山者を阻む千鳥返し>
志津峠から登り始めて1時間40分が過ぎた頃、最大の難所に辿り着きました。女峰山の馬の背渡り、太郎山の新薙とともに数えられる日光三険の一つ、大真名子山の千鳥返しです。高さ10mほどのほぼ直角の岩場が登山者の通行を阻みます。といっても今は、鎖やはしごが設置されているので、行く手を拒まれると云うことはありませんが、慎重な行動が必要です。
千鳥返し
<標高2375mからの眺望>
志津峠から登り始めて2時間後、山頂に到着。山頂付近は大きな露岩が見られ、周辺をハクサンシャクナゲ、マルバシモツケ、ミヤマハンノキ、オオシラビソ等が茂っています。南西~北西~北東の180°方向に向けての見晴らしは申し分ないです。普段は戦場ヶ原や小田代原などから大真名子山を見上げていましたが、今回はその逆ですね。「いつもあそこから見上げてたんだなぁ」と、おにぎりを頬張りながら感慨深い気持ちになりました。
山頂の状況 戦場ヶ原方面を望む<最後に>
今日は天候に恵まれたこともあり、ポカポカ陽気の下での山行となりました。登山道には、目印となる標識やリボンが設置されており、道に迷うことはないと思いますが、道中は急坂やガレ場、鎖場などいくつかの難所を越える必要があります。登山にあたっては、十分に体力を高めておくことと、温かい服装、しっかりした登山靴などの装備を十分に準備したうえで登山を楽しんでください。
<参考文献>
改訂版鳥のおもしろ私生活(ピッキオ)
栃木百名山ガイドブック改訂新版(下野新聞社)
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アクティブ・レンジャーとは、自然保護官の補佐役として、国立公園等のパトロール、調査、利用者指導、自然解説などの業務を担う環境省の職員です。管内には、日光、尾瀬、秩父多摩甲斐、小笠原、富士箱根伊豆、南アルプス国立公園があります。
<いざ、大真名子山(おおまなごさん)へ>
10月27日(木)、登山道や自然環境などの現状把握を目的に表日光連山の中央に位置する標高2,375mの大真名子山に行きました。
戦場ヶ原から見る(右から)男体山、大真名子山、小真名子山
<車両通行規制>
梵字飯場跡駐車場に駐車し、徒歩で裏男体林道~志津峠~大真名子山山頂に向かいました。以前は、志津峠までの裏男体林道は一般車両の通行も可能でしたが、現在では通行は禁止されていますのでご注意ください。
車両通行ゲート
<舗装路が秋模様へ>
主観になりますが、奥日光全体としては、紅葉の見頃は終盤となりました。落葉樹は寒さの厳しい冬に備え、葉に蓄えられた栄養分を樹幹に移動させ、矢継ぎ早の様にヒラヒラ葉を落としています。生葉を失くした樹木や地面に積もった落葉を見るとなんだか心寂しさを感じます。一方で、今の季節ならではの気分が少し上がる発見をしました。
裏男体林道の本区間は普遍的で殺風景なアスファルト舗装路ですが、様々な樹種のカラフルに彩られた落葉が散りばめられたことで、秋を感じさせる模様になっていました。
オシャレな舗装路
<雪山の住人>
しばらく歩いていると、小さい鳥が立木から立木へせわしく活発に動いていました。コガラです。ゴジュウカラとともに早春の山を代表するさえずりの主です。近縁のカラ類に比べ、季節移動をほとんどせず、雪山で春を待つ個体も珍しくないそうです。雪山に残れる秘訣は、植物の種子や実などの食料を貯蔵する習性です。かつて志賀高原で行われた調査によれば、10月に採った食物の9割近くは蓄え、冬の間の食料の7割が秋に蓄えてあったものということが分かったそうです。長い進化の歴史で会得した冬を生き抜く知恵ですね。
シジュウカラ科コガラ
<信仰の歴史と行者の足跡>
1時間15分かけて志津峠までを登りきったところで休憩。ここまでは通過点に過ぎません。(そこそこ疲れますが)志津峠から山頂までの急坂な林内ルートが本番です。
ところで、大真名子山の信仰の歴史は古く、鎌倉中期には日光修験の秋の入峰修行コースに入っていました。行者たちは、今の二荒山神社から女峰山を経て、峰筋を駆け登り、この山頂から千鳥返し(日光三険の一つ、鎖場)を駆け下って男体山へと修行しました。この峰修行は明治初年途絶えましたが、山伏の足跡は現在の登山道として生きています。
志津峠から大真名子山を望む
<登山者を阻む千鳥返し>
志津峠から登り始めて1時間40分が過ぎた頃、最大の難所に辿り着きました。女峰山の馬の背渡り、太郎山の新薙とともに数えられる日光三険の一つ、大真名子山の千鳥返しです。高さ10mほどのほぼ直角の岩場が登山者の通行を阻みます。といっても今は、鎖やはしごが設置されているので、行く手を拒まれると云うことはありませんが、慎重な行動が必要です。
千鳥返し
<標高2375mからの眺望>
志津峠から登り始めて2時間後、山頂に到着。山頂付近は大きな露岩が見られ、周辺をハクサンシャクナゲ、マルバシモツケ、ミヤマハンノキ、オオシラビソ等が茂っています。南西~北西~北東の180°方向に向けての見晴らしは申し分ないです。普段は戦場ヶ原や小田代原などから大真名子山を見上げていましたが、今回はその逆ですね。「いつもあそこから見上げてたんだなぁ」と、おにぎりを頬張りながら感慨深い気持ちになりました。
山頂の状況 戦場ヶ原方面を望む
<最後に>
今日は天候に恵まれたこともあり、ポカポカ陽気の下での山行となりました。登山道には、目印となる標識やリボンが設置されており、道に迷うことはないと思いますが、道中は急坂やガレ場、鎖場などいくつかの難所を越える必要があります。登山にあたっては、十分に体力を高めておくことと、温かい服装、しっかりした登山靴などの装備を十分に準備したうえで登山を楽しんでください。
<参考文献>
改訂版鳥のおもしろ私生活(ピッキオ)
栃木百名山ガイドブック改訂新版(下野新聞社)