アクティブ・レンジャー日記 [関東地区]
【那須】 「'九尾のキツネ'と言えば、那須!!」
2021年07月07日みなさま、こんにちは。 日光国立公園 那須管理官事務所の善養寺聡彦です。
さて今回は、「九尾のキツネ」。
「なるほど!」 と思ったあなたは、那須をご存じの方。
「なんで~?」 と思ったあなたは、これから那須を知る方。
しかし、「なんで~?」派がかなり多いのではないかと思います。
「九尾のキツネ」は、多くの人が、何かしら聞いたことがあるのではないでしょうか。
いろいろな物語で題材にされます。
漫画、映画、小説など様々なフィクションに登場しています。
「強大な妖力を持った魔物」です。
室町時代あたりからの説話に由来すると思われますが、色々な説があり、
いずれも「時の権力者を誑(たぶら)かして、人々に害をなす妖狐」という設定です。
この九尾の妖狐が退治されたとされる場所が、茶臼岳の麓にある '史跡殺生石'です。
'史跡殺生石' は那須の観光名所の筆頭と言っても良いかもしれません。
那須管理官事務所(那須高原ビジターセンター)は、殺生石からおよそ300mの位置にあります。
木道を進んだ奥、正面の崖に殺生石があります。
殺生石周辺にくると、卵の腐ったような臭いがしてきます。
そう! 硫化水素(H2S)の臭いです。
硫化水素は猛毒で、ある程度の濃度になると人も死亡します。
草木も生えないガレ場の中の木道を進むと、大きな岩がいくつか転がる崖の前に着きます。
岩の一つにしめ縄がしてあります。
これが殺生石です。
平安時代末期、九尾狐の化身である玉藻前(たまものまえ)が
鳥羽上皇を誑かして悪事を働いていましたが、
見破られて那須に逃げました。
しかしこの地で退治され、毒気を吐く岩になりました。
この岩が、近づく生き物を殺したため、玄翁(げんのう)和尚が岩を打ち砕き、
その破片が全国に散りました。
そしてこの地に残った岩の破片が目の前の殺生石です。
※大きな金槌を、ゲンノウ(玄能)といいますが、その名はこれに由来するそうです。
殺生石は現在も毒気(H2S)を出して、周囲に近寄る生き物を殺してしまいます。
そして、運悪く木道からよく見える場所で死んでしまった動物(キツネやネコ)
の遺骸を片付けるのは、
我々アクティブレンジャーです。(本当です)
※防毒マスクも準備して、安全に行っています。
運の悪い動物の処理中
ちょっと、殺生石見学が怖くなってしまうかもしれませんが、
木道を外れずに見学していれば大丈夫です。
H2S(分子量34)は空気(平均分子量29)より重いので、下に溜まります。
4本足の動物は姿勢が低いので、濃いH2Sを吸い込んでしまう危険があります。
ですから見学時は、「木道から外れない」、「しゃがまない」ようにしてください。
また、小さなお子さんは歩かせるよりも、抱きかかえてやってください。
都から遠く離れたここ那須で、なぜこのような話が生まれたのか、不思議です。
伝説が生まれたのが室町時代初期とされているようですが、
茶臼岳が室町時代に大規模な噴火(1408年~1410年)を起こしたことと
関連しているのかもしれません。
※茶臼岳頂上の溶岩ドームは、この噴火によって形成されました。
茶臼岳:溶岩ドーム
さて、'史跡殺生石'にはこんな風景もあります。
千体地蔵
凍れる枯れススキの中に立つ姿は、ここ殺生石ではなかなか絵になります。
※この縁起については、必ずしも九尾狐との関わりではありませんので、
詳しくは現地を訪れて解説をお読みください。
硫黄を採取した湯畑(再現)
※昭和18年まではここで湯ノ花(硫黄)採取をしていました。
江戸時代、硫黄は年貢の代わりとして納められていました。
当時は地温80~90℃、地下30mで100℃以上という記述もあります。
今よりも遙かに活発な火山活動がこの地にあったことを物語ります。
さあ、これであなたも那須を知る人。
'九尾のキツネ'と言えば?・・・「○○!!」ですね❤