檜枝岐
檜枝岐歌舞伎
2021年08月25日みなさん、こんにちは。
檜枝岐自然保護官事務所の前川です。
尾瀬というと湿原や花々、近隣の山といった自然を思い浮かべる人が多いのではないかと思いますが、かつて秘境と言われた檜枝岐には独自の文化が残されています。
檜枝岐には古典芸能として有名な檜枝岐歌舞伎があります。歌舞伎は春と夏の2回、村人の手により村人のために行われています。なぜこの時期に行われているのかというと、それには村人のかつての生活と深くつながる理由があります。
檜枝岐村全景 檜枝岐の舞台(奥の茅葺き)と歌舞伎伝承館(右)
(写真をクリックすると拡大します)
標高が900m以上あり、平地の少ない谷間にある檜枝岐では昔から全戸で近隣の場所に出作り小屋を持っていて、夏の間はそこに泊まり込んでソバやジャガイモなどの農業、養蚕、イワナやサンショウウオ獲り、さらには杓子(しゃくし)ぶちと言って木を削ってヘラやシャクシを作っていました。
雪が溶けた5月に愛宕神社の祭礼があり、それが済むと村人はみな出作り小屋に向かいました。また、出作り小屋で仕事をしている間もお盆の間は休養のため、みな帰村していたそうです。今では村の主な産業は観光へと変わったため、出作り小屋もほとんど残っていませんが、かつての習慣は今でも受け継がれ、毎年5月12日と8月18日には村人全体の楽しみとして歌舞伎が開催されてきました。
出作り小屋(現在は使われていません) 歌舞伎伝承館の内部
観客席の上段に鎮座する「鎮守神」 檜枝岐村で作られた杓子
檜枝岐歌舞伎は寛政・文化の頃、上方歌舞伎から習い覚えたと伝えられています。貴重な無形文化財ですが、上演されるのは上方歌舞伎の古典調のものが主体です。東京などで演じられている有名人による洗練された歌舞伎とはおもむきが違いますが、通常は他に仕事を持つ村人が伝承された歌舞伎を演じることに価値があり、歌舞伎上演の日を何より楽しみにしているという村人がたくさんいます。歌舞伎というと年配の方が見るものというイメージがありますが、檜枝岐ではたくさんの若い人や子供たちが見に来ます。
観客席から檜枝岐の舞台を見下ろす 春の歌舞伎上演時の様子(2021.5.12)
歌舞伎が演じられるのは愛宕神社の境内にある茅葺きの地芝居小屋で、これを見下ろすように作られている観客席は古代ローマのコロセウムを思い起こすような造りになっています。夜間、ライトに照らされて浮かび上がる舞台上演時の雰囲気は決して銀座の歌舞伎座に劣るものではなく、これまで歌舞伎に縁遠かった私ですら強く惹きつけられるものを感じました。今回はコロナのため、無観客での上演となってしまいましたが、檜枝岐歌舞伎はこれからも村民のためにずっと続いていくものと思います。
春の歌舞伎上演時の様子(2021.5.21)
さて、2018年に尾瀬国立公園協議会が策定した「新・尾瀬ビジョン」はこれからの尾瀬がめざす姿を示したものです。尾瀬国立公園協議会は尾瀬に関係する地域事業者(山小屋、交通、ガイド、ボランティアなど)や行政(国、県、市町村)で組織され、尾瀬国立公園のあるべき姿について3年間をかけて協議してきたもので、いわば尾瀬関係者の総意を表現したものと言えます。尾瀬がめざす姿は「みんなに愛され続ける尾瀬」であり、それを実現するための行動理念が3つあげられています。
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みんなの尾瀬
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みんなで守る
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みんなで楽しむ
新・尾瀬ビジョン表紙 「みんなで守る」について
このうち「みんなで守る」についての視点2では、"地域に息づいた歴史・伝統・文化は、地域に対する愛着を深める大切な資源であるため、その価値を再認識しながら、しっかりと後世に受け継いでいきます"と述べられています。今回ご紹介した檜枝岐歌舞伎も檜枝岐だけでなく、尾瀬にとっても非常に重要な存在だと思いました。