
アクティブ・レンジャー日記 [関東地区]
秋の気配を感じる大菩薩峠
2025年09月30日
奥多摩
今年の夏も非常に暑かったです。
都心からすぐに行ける避暑地として挙げられることもある奥多摩ですが、近年はフェーン現象の影響か気温の高い日が多くなっており、今年も事務所から一歩外に出ると「サウナに入ったのか?」と思うほどの日が何度かありました。
とはいえ9月も下旬になり、秋の気配を感じることも増えてきました。
今回は、大菩薩峠で実施した巡視で季節の移り変わりを感じたときの様子をお伝えします。
都心からすぐに行ける避暑地として挙げられることもある奥多摩ですが、近年はフェーン現象の影響か気温の高い日が多くなっており、今年も事務所から一歩外に出ると「サウナに入ったのか?」と思うほどの日が何度かありました。
とはいえ9月も下旬になり、秋の気配を感じることも増えてきました。
今回は、大菩薩峠で実施した巡視で季節の移り変わりを感じたときの様子をお伝えします。
●大菩薩峠巡視
令和7年9月17日(水)、大菩薩峠を巡視しました。
この名前を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。日本百名山の大菩薩嶺からすぐ南にあるこの峠は、中里介山の小説『大菩薩峠』でよく知られています。
4月には、麓の甲州市で中里介山の法要と登山者の無事故祈願を兼ねた山開きの儀礼である「介山祭」が執り行われ、自然保護官と共に出席しました。
この名前を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。日本百名山の大菩薩嶺からすぐ南にあるこの峠は、中里介山の小説『大菩薩峠』でよく知られています。
4月には、麓の甲州市で中里介山の法要と登山者の無事故祈願を兼ねた山開きの儀礼である「介山祭」が執り行われ、自然保護官と共に出席しました。
巡視の日は絶好の晴天に恵まれ、多くの登山者が訪れていました。
上日川峠から大菩薩峠に向かう道はよく整備されており歩きやすいですが、雨の後などは泥濘が残っていることもありますので、歩きやすい登山靴やトレッキングシューズでお出かけください。
上日川峠から大菩薩峠に向かう道はよく整備されており歩きやすいですが、雨の後などは泥濘が残っていることもありますので、歩きやすい登山靴やトレッキングシューズでお出かけください。
大菩薩峠では素晴らしい展望が広がっていました。
まだ気温が高く日差しも強かったですが、吹き抜ける風は涼しく爽やかな空気に包まれており、次第に秋に向かっているのを感じます。
まだ気温が高く日差しも強かったですが、吹き抜ける風は涼しく爽やかな空気に包まれており、次第に秋に向かっているのを感じます。
この日の巡視では、稜線近くに設置している防鹿柵の点検を行いました。
山小屋の方から「シカが網を食いちぎって穴を開けてしまう」という話を伺ったこともありましたが、見てみると確かに穴が開いているところや、地面と固定している杭が抜けているところがあります。防鹿柵に沿って一周しながら補修を行いました。
山小屋の方から「シカが網を食いちぎって穴を開けてしまう」という話を伺ったこともありましたが、見てみると確かに穴が開いているところや、地面と固定している杭が抜けているところがあります。防鹿柵に沿って一周しながら補修を行いました。
稜線に戻ってふと見上げると、大菩薩嶺の向こうに奥秩父主脈の山並みが広がっていました。
更に遠くの山々は雲に覆われていましたが、晴れていれば富士山・南アルプスまで見渡せる雄大な景色を楽しむこともできる場所です。
登山道には岩場もあり転倒すると怪我に繋がりますので、景色を眺める際は足元にご注意ください。
更に遠くの山々は雲に覆われていましたが、晴れていれば富士山・南アルプスまで見渡せる雄大な景色を楽しむこともできる場所です。
登山道には岩場もあり転倒すると怪我に繋がりますので、景色を眺める際は足元にご注意ください。
この日は雷岩から唐松尾根を下山しましたが、大菩薩嶺の山頂まで足を伸ばすのもお薦めです。
ここまでの稜線歩きとは一転して展望はありませんが、森の中を歩くコースで表情の違う山の姿を楽しむことができます。
ここまでの稜線歩きとは一転して展望はありませんが、森の中を歩くコースで表情の違う山の姿を楽しむことができます。
さて、先に触れた小説『大菩薩峠』では、この場所について以下のように触れられています。
大菩薩峠は青梅から十六里、甲州裏街道の最も高く、最も険しきところがそれです。
この小説は幕末が舞台ですが、当時の大菩薩峠の場所は現在とは異なっていたことをご存じでしょうか。
現在の青梅街道に近いルートで、江戸から甲府方面へ向かう際に甲州街道よりも距離が短いことなどから多くの旅人が行き交っていた甲州裏街道は、小河内・丹波山・小菅など多摩川流域の各村と塩山方面との交易の場所でもありました。現在でも大菩薩峠の東側に「荷渡し場」という地名が残っています。
かつては上峠と下峠があり、上峠は丹波大菩薩道を経て現在の賽ノ河原に、下峠は牛ノ寝通りを経て現在の石丸峠に出たそうです。その後、明治時代になって現在の峠に一本化したと言われています(諸説あります)。
風の通り道であり、冬季には雪や強風で犠牲者も出たと言いますが、現在の賽ノ河原には避難小屋があり、登山中の休憩に適した場所となっています。
『大菩薩峠』の冒頭で机龍之介が老巡礼を切り捨て、猿の群れに囲まれたお松が七兵衛に助けられたのはこの場所なのかもしれません。
今年は中里介山の生誕140年の節目の年にあたります。
既に大菩薩峠に登った方も、本を読みながら情景を思い出してみてはいかがでしょうか。
そして、物語を思い出しながら改めて歩いてみると、また新しい発見があるかもしれません。
参考文献
中里介山『大菩薩峠 都新聞版』第1巻,論創社(2014)
岩田基嗣『改訂版 異説多摩川上流水源地の歴史』増補第二版,西多摩新聞社出版センター(2021)
日本山岳会『改訂新日本山岳誌』ナカニシヤ出版(2016)
既に大菩薩峠に登った方も、本を読みながら情景を思い出してみてはいかがでしょうか。
そして、物語を思い出しながら改めて歩いてみると、また新しい発見があるかもしれません。
参考文献
中里介山『大菩薩峠 都新聞版』第1巻,論創社(2014)
岩田基嗣『改訂版 異説多摩川上流水源地の歴史』増補第二版,西多摩新聞社出版センター(2021)
日本山岳会『改訂新日本山岳誌』ナカニシヤ出版(2016)